私は長年自分の住む南伊豆の自然に向き合ってきました。
そこから見えてきた自然環境の変化を森守開業時にパンフレットに書きました。
それが、命を護る「野生のソーセージの話」と、森を守る「森守の話」です。
この中には私の思いが書いてあります。一人ではどうにもならない部分を皆で取り組む、または、考えてもらう機会となればと綴りました。
捕獲しても廃棄されてしまう。
人が自然に関わらず森から出てくる動物は害獣と扱われる。
いずれにしても人が自然に関わらなくなっている現実から善悪を判断している。そんな現状を変えたい、森里川海の自然の循環を取り戻す。そんな時間のかかる作業に取りかかった。
命を護る「野生のソーセージの話」

かつて森と共に生きる人の生活がありました。
炭焼きや材木のために木を伐り、生活に必要な魚や野生動物の肉を必要な
分だけとって、農的な暮らしと森の実りを頼りに暮らしていました。
森で伐られた切り株からはたくさんのひこばえが生えます。

ひこばえはたくさんの幹となり、多くの枝葉をつけ、花を咲かせ、
ミツバチなどの虫に蜜や花粉を与え、代わりに花は受粉した後、
ドングリなどの木の実になり、鳥や野生動物たちの糧になっていました。
人が自然と共生できる生活です。

枝葉が増えると、根も増えます。たくさんの葉は山の土を肥やし、
根は山肌を護ります。
肥えた土は雨水と共に川に鉄分などのミネラルや有機物を運びます。
そうして、山は川と海を豊かにしていきます。

しかし、豊かだった山には、昭和30年代から40年代にかけてスギやヒノキなどの針葉樹が建築材として利用される目的で、たくさん植林されました。
山の生き物が食べられない単一樹種の森づくりです。
こうして生物多様性は奪われていきました。

そして、植林された木々は、「経済性」を主な理由として放置されています。
森の実りを活用していた人間も、山に入ることが少なくなり、
山の荒廃が進んでいます。

豊かさを失い、そして人が入らなくなった山には、餌を求めてシカやイノシシが生息域を拡げました。
いつしか豊富な栄養素をもつ農作物を狙って里に出てくるようになり、農作物にも被害が出ています。
荒れた田畑は生産者の耕作意欲を失わせ、さらに耕作放棄地が増え、そこを繁殖地とした野生動物が増え続けるという悪循環が生まれています。
野生動物による農作物被害額はデータに上るだけでも年間200億円にのぼっています。
一方で、野生鳥獣捕獲で獲られる数十万頭の命のうち、食肉として用いられるものは約1割程度で、大半が埋設や焼却処理されている現実もあります。

いつから私たちにとっての「肉」は、牛、豚、鶏ばかりになってしまったのでしょう?
日本人はあらゆる鳥という鳥を江戸時代まで食べていました。
生類憐れみの令や仏教の禁忌はあれど、たくさんの野生動物を食べてきました。
丈夫なシカの皮は武具としても活用されてきました。
「食肉」が牛、豚、鶏ばかりになった時、大量に安く「生産」するために世界中で恐ろ
しい問題がたくさん生まれています。
ふと、気づきます・・・

命とのつきあい方を少し見直すだけで、選ぶべき「命」「肉」「育て方」「食べ方」「活かし
方」が見えてくるのではないでしょうか?
私たちは何を食べているのか、自然とどう関わっているのか、また、関われるのか、
少しだけ目を向けて欲しい。
なぜなら、いつまでも自然が、我々がこうであって欲しいと思う姿のままで続くわ
けでは、ないからです。
このソーセージは、森を守る人、命を大切にする人が、森の現実を踏まえ、未来
をつくるために共につくった森のお守りです。
いただいた命を無駄にしないことで、今とは違う山や森、川、海、そして野生
動物との関係をつくることができるかもしれない・・・つくりたい。
命を護る「野生のソーセージの話」終わり。