岐阜新聞WEBの記事

豚コレラは人には感染しませんが人がウィルスを運ぶ場合があります。それを防ぐためにも狩猟禁止場所で狩猟をしてた方は移動時に靴の消毒など拡大予防対策をお願いします。
伊豆半島でも昭和53年ごろ豚コレラが発生しました。
森の中で死んでいた個体は口から泡を吹き倒れていました。
当時は豚コレラの認識はなく農薬の毒殺のようにも見えました。
ほぼ絶滅状態は自分が第1種銃猟免許取得後4年まで続き、概ね13年です。
感染源である猪・豚・イノブタが絶滅または感染域と断絶された地域が離れている場合はそこで止まります。
伊豆半島での感染は熱海峠、丹那盆地(元々猪・鹿のいない地域)国道1号、国道246号で分断されていたおかげで伊豆半島地域以外には広がりませんでした。
その肉を食用としても人には害はありませんでしたが、人的被害もありました。それは大物猟師の減少。当時は網・罠狩猟免許(1種類、今は網猟・わな猟と2種類)所持者はほとんどおらず、銃猟免許を持ち銃所持者が100%でした。その中で、猪・鹿を狩る大物猟師、ウサギを狩るウサギ撃ち、鳥を狩る鳥撃ちと別れていました。
この中で大物猟師はほぼ7割、そしてプロハンター(狩猟期間は毎日山に入る)はそのうちの4割。ところが豚コレラの感染拡大による絶滅で森に獲物がいなくなると大物猟師全体で3/2が狩猟を辞め、残った3/1はウサギ撃ちをやりながら猪の復活を待った。
しかしながら一度絶滅状態になった森には獲物はなかなか戻らず、プロハンターもその間に高齢化しいなくなり、猪が増え始めた時には賀茂郡内でも数える程しか年期を入れたプロの猟師はいなくなっていました。
そういった事実や時代背景がある中で学者や行政マンは事実を知らずにただ単に狩猟者が増えれば被害は減ると安易に考えています。狩猟者が減った背景にはこれ以外にもあります。行政事務の権限委譲もその一つですし、元々住み分けのできていた人の自然への関わりも無くなったのも原因でしょう。
自分が狩猟を始め2年は南伊豆から下田まで山を歩いても足跡はありませんでした。3年目にようやく足跡が見え始め、河津、下田、自分たち親子(当時南伊豆では自分と親父二人しか猪を追いかけていたのはいなかった。)で賀茂郡内にいる数頭の猪を追い見切りからタツマ割、勢子をやりながら山から山へ駆け巡っていた。

今では、そんな苦労もしなくても獲物はいる。増え始めた時にプロの狩猟者が残っていれば今の状態はなかっただろうと今も思う。
同じことが岐阜県、愛知県と広がりを見せている。
防疫体制を組むのも大事だが狩猟者を減らさない対策をしないと同じことの繰り返しになる。それが一番危惧されるところである。